ない借金返済 債務整理|第4 争点に対する判断

借金返済の辛苦は債務整理であるが,第二次世 界大戦によりほとんどすべての国民が様々な被害を受けたこと,その態様は 多種,多様でであって,その程度において極めて深刻なものが少なくないこと もまた公知のところである。


長期間にわたる抑留と強制 労働によって受けた損害が深刻かつ甚大なものであったことを考慮しても, 他の戦争損害と区別して,所論主張の憲法の右各条項に基づき,その補償を 認めることはできないものといわざるを得ない。」と判示し,上記最高裁平 成16年1月27日第三小法廷判決も,同判決を再確認している。
上記最高裁判決の判示するところによれば,原告らが本件で主張するとこ ろの損害は,そもそもいわゆる戦争犠牲ないし戦争損害であり,事実認定上 の争点に関する原告らの主張も,既に上記の数次の訴訟において否定されて いるところである。
(3) もっとも,上記最高裁判所判決の判示するところは,憲法11条,13条, 14条,17条,18条,29条3項及び40条に基づく補償の要否につい ての判断である。
また,本件において,原告らが主張するところは,被告が,原告らを含む シベリア抑留者をソ連に対して労役賠償として差し出したとするものであっ て,これを単に戦争によって被った被害として,ひとくくりにすることも相 当ではないものと考えられる。
(4) そして,本件の証拠調べにおける次の原告らの供述によれば,シベリア抑 留から幸いにも生還して,祖国の地を踏むことのできた原告らにおいても, その被った損害は深刻かつ重大であって,看過することができないものであ ることは明らかである。
ア原告X1(甲19,原告X1本人)
昭和19年9月26日ころ,ソ連軍によりタイシェットの収容所に収容 され,朝9時から夕方5時まで鉄道敷設のための伐採,土床作り,道路造 り,鉄道敷設工事などをさせられた。
伐採中には,木の下敷きになる人が 出た。
また,道路造りでは,道路に使用する木を切る際,体力がないため, 斧を自分の足にたたきつけてけがをする人が出た。
零下30〜40度の中 での鉄道工事の際には,レールに皮膚が触れるだけでやけど状態になるな どの事故も起こった。
食料は,黒パン一切れとアワ・ヒエのスープが配給 されるだけであったため,作業の休憩の合間に,カエル,蛇,雑草を取っ て炊いて飢えをいやすような状況であった。
イ原告X19(甲20,原告X19本人)
昭和20年9月ころ,クラスノヤルスク地区第34地区第6収容所に収 容された。
収容所では,地下30メートルくらいの炭坑地下坑内で石炭採 掘の作業を課された。
毎日,夏は暑く,冬には零下30〜40度という極 寒の中を,毎日片道1時間ほどかけて炭坑まで歩いた。
炭坑では,高さ約 2メートル幅約3メートルの坑道を80センチ掘り進むことがノルマとさ れ,8時間労働で休憩もなかった。
栄養失調の状態でノルマを達成するた め,予定時間外にも作業を続け,それでもノルマを果たせなければ,黒パ ンと岩塩スープだけの食事をさらに減らされた。
また,中耳炎を患っても 治療を受けられないまま2,3年過ごしたため,難聴になった。
ウ承継前原告A(甲21,承継前原告A本人) 昭和20年8月末,ソ連軍の指示により間島市内の仮設収容所で収容さ れ,1か月間,ソ連軍の命令で物資を貨車に積み込む作業を行った。
その 後,徒歩や貨車で移動させられ,同年10月末ころ,コムソモリスク・ナ ・アムーレの収容所に収容された。
ここでは,捕虜収容所の建設作業,ア ムール川にあるソ連海軍のドックの設備工事(屋外の水道管の建設作業, 空調設備敷設作業),凍土を掘って水道管を敷設する土木工事,板金作業 などを,午前8時から午後5時まで行った。
食料は乏しく絶えず飢えに悩 まされ,冬季は極寒のため,手が凍傷になった。
また,作業中に落下した 鉄片が頭部に当たり,負傷した。
昭和23年7月28日に帰国したが,その後も就職差別などを受けた。
エ原告X28(甲25,原告X28本人) 昭和20年11月23日,ホルモリンの228収容所に収容された。

債務超過

ア本件財務諸表問題について
原告が隠ぺいしたと報道された「幻の財務諸表」について,
@日本道路公団が組織として作成した事実はなく,
Aそもそも「幻の財務諸表」においても同公団は債務超過とされていない。
また,B原告も同公団も「幻の財務諸表」を隠ぺいしたことはない。
また,「幻の財務諸表」なるものも,日本道路公団が公表した民間企業並財務諸表と比べると,財務諸表というに値しないことは明白である。
すなわち,「幻の財務諸表」に関する報道は誤報であり,国会での質問者もかかる誤報を前提としており,事実誤認に基づいている。
いわゆる「幻の財務諸表」に関する原告の国会答弁は,日本道路公団が組織として作成したことはない旨一貫して述べており,客観的事実に合致するもので変遷はなく,不適切な対応に当たる事情はない。
いわゆる「幻の財務諸表」は,平成15年7月10日発売の月刊誌「○○」8月号の記事で初めて公になり,同月14日,衆議院決算行政監視委員会において資料として配付されたもので,その内容は到底財務諸表というに値しないものであったが,原告はこれに応じて対応及び調査を行っており,原告による調査等の遅れなどはない。
イ本件会合問題について
平成15年5月1日発売の雑誌「○○」(なお,同雑誌は一般書店では販売されず,定期購読等によらなければ容易に入手できない。)5月号の記事のうち,同年4月16日,γ会館において会合が持たれ,同会合に原告が出席したことは間違いないが,本件会合は,正式に議題が設定され,議事録を作成して一定の議題について議論するというような集まりではなく,原告はあいさつ程度の発言はしているが,同5月号に記載された内容の発言をしたか否かも原告の記憶にない(なお,原告は同雑誌から取材を受けたことはない。)。
原告の国会答弁は,原告に対する各質問の時点で分かった事実をできる限り誤解を招かないよう丁寧に答弁し,当初から本件会合に出席していた可能性は認めた上で,本件会合での発言内容が「○○」5月号の記事に記載された内容であったかは判然としないことを一貫して述べており,何ら問題はない。
原告に限らず,一般に週刊誌等の記事に基づく国会質問については,本人への裏付け取材がされていないことや,事実について疑問が多いこともあり,コメントを差し控えるものであり,「○○」5月号の記事についてもそのような対応で十分であったが,同記事について国会で数度にわたり質問されたことから,原告としてできる限りの答弁をしたものであり,このような原告の対応は,むしろ通常の場合より丁寧かつ誠実なものである。


ここでは,防寒帽はもらったが,薄い服に軍隊の革靴という格好で,バム鉄 道の路線作り作業,橋梁保護作業を行った。
路線作りでは,1日に6立方 メートルの土を掘り返すことがノルマとして課されていたが,ノルマの達 成度によって翌日の食事の量が決まり,十分な食事がないまま働かざるを 得ない日々が続いた。
橋梁の作業は三交代で一日8時間課せられ,夜中の 12時から朝8時までの時間帯の場合,零下40度を超える寒さの中で, 食事もなく,働かされた。
昭和22年5月ころ,コムソモリスクの第5収 容所に移動し,バム鉄道の道路建設や土床造りも行った。
オ原告X38(甲23,原告X38本人)
昭和20年10月下旬ごろ,チタ地区の収容所に収容された。
収容所で は,収容所の小屋の修理と周囲の壁を作る作業やソ連兵の監視所を作る作 業を行い,この作業の終了後は伐採作業を課せられた。
収容所では,月1 回,ソ連兵から点呼を受け,荷物を全部持って集まり,その荷物をソ連兵 が検査し,遺骨,手帳,スプーンなどの持ち物を取り上げられた。
また, 重労働により,発疹チフスと熱病にかかり,耳も聞こえず,自分で歩けな いような状況にもなった。
人間関係について,日本の軍隊の上下関係が残 っており,上官から暴力を受けて亡くなる日本人もいた。
昭和21年6月 から,ナホトカの収容所に移動させられ,港の建設作業の現場で砕石され た石を搬入する作業を行った。
カ原告X43(甲24,原告X43本人)
昭和20年10月末ころ,アルマータ第10収容所に収容された。
収容 所では,作業隊を連れ,現場監督の作業の指示を伝達し,作業に必要な材 料や用具などの交渉,ノルマをなるべく下げるための交渉を行ったり,石 灰岩の山を掘る作業を行ったりした。
山を掘る際,爆破作業をするところ, 前の爆薬が残った状態で,ダイナマイトを入れる穴を掘る作業をしてしま った時に爆発があり,けがをするという事故が多かった。
食料事情も悪か ったため,天びんを使って分配し,スープもまず実を分け,次に汁を分け, その後くじを引いて自分のを取るというような状況であった。
抑留中,ソ 連と戦闘していないのになぜ連行され,ソ連のために仕事をしているのか という精神的苦痛を味わった。
また,共産主義の教育が行われ,抑留者の 中でも,帰国したいためにソ連におもねる親ソ派,反抗派,無関心派など に分かれて言い合うなどのすさまじい状況もあった。
(5) 他の原告らについても,その主張するとおり,上記原告らと同様の被害を 受けたものと推察することができ,原告らは,極寒,不衛生など過酷な生活 環境のもと,慢性的な飢餓状態のまま,鉄道・運河・道路建設,森林伐採, 炭坑作業という重労働に強制的に従事させられていたものである。
その平均 年齢が既に約83歳に達していても,原告らの記憶はいまだ鮮明であって, 忘却にゆだねることができないものであったものと認められる。
幸いにも,シベリア抑留から生還して,日本人男性の平均寿命を超える長 寿を享受することができた原告らにとっても,原告X38が供述するように, シベリア抑留において,一番弱い立場の人からどんどん死んでいったという 記憶は忘れられないものであり,原告X43の供述するように,不幸にして シベリア抑留中に死亡した人たちを考えると,原告らの抑留がなぜ生じたの かについて,現時点において確認したいと考えるのも,うなずけるところで ある。
(6) 被告の主張するように,過去の裁判例において,原告ら側の主張するとこ ろは,すべて理由がないとされて請求が棄却され,その判断は確定している ものではあるが,上記のような事情も考慮すると,既に解決済みの問題の蒸 し返しにすぎないとすることなく,本件に提出された全証拠を精査して,原 告らの主張に理由があるかどうかを改めて検討することとする。
2 シベリア抑留の原因について
(1) 原告らも自認するとおり,シベリア抑留は,国際法に完全に違反して,原 告らを長期にわたり強制労働させたソ連に,その第一義的責任があることは 明白である。
すなわち,証拠(甲1,5,6,26,27,30,34)に よれば,次の事実が認められる。
アソ連は,第2次世界大戦において,国際法に違反して,ドイツ軍238 万人を始め,24か国合計417万人を軍事捕虜として抑留し,自国の建 設のための強制労働に従事させた。
ソ連は,社会主義体制のもとで,既に, 強制的農業集団化,大粛清によって数百万人を超える農民,市民を,シベ リア等の強制収容所に収容して,ダム・鉄道・運河・道路建設や鉱山の開 発等の強制労働に従事させ,多数の死者を生じさせていた。


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特定調停のデメリット
シベリア
抑留者
長期間
財政,経済,社会政策
戦争中から戦後にかけての国の存亡にかかわる 非常事態にあっては,国民のすべてが,多かれ少なかれ,その生命,身体, 財産の犠牲を堪え忍ぶことを余儀なくされていたのであって,これらの犠牲 は,いずれも戦争犠牲ないし戦争損害として,国民のひとしく受忍しなけれ ばならなかったところであり,これらの戦争損害に対する補償は憲法の右各 条項の予想しないところというべきである。その補償の要否及び在り方は, 事柄の性質上,財政,経済,社会政策等の国政全般にわたった総合的政策判 断を待って初めて決し得るものであって,憲法の右各条項に基づいて一義的 に決することは不可能であるというほかはなく,これについては,国家財政, 社会経済,戦争によって国民が被った被害の内容,程度等に関する資料を基 礎とする立法府の裁量的判断にゆだねられたものと解するのが相当である。 以上のこともまた,前記大法廷判決の趣旨に徴して明らかである(最高裁昭 和58年(オ)第1337号・同62年6月26日第二小法廷判決・裁判集 民事151号147頁参照)。